今日はかなり真面目な話をします。ゲームの話はしません。
従って、この時点で、ブラウザバックでも一向に構いません。
実のところ、これまでは書こうと思ったことはありましたが、書くことができなかった話です。
理由は、今回のタイトル「原爆」に関して、私自身は、広島に居住しているわけでもなく、親戚一同を見渡しても、誰一人、広島とかかわっておらず、唯一、私だけが、大学時代に広島県に居た、というだけで、はたしてそんな私が原爆のことについて語っていいものかどうか、興味本位面白半分と受け取られるんじゃないか、という悩みがあったからです。
ですが、現在の日本を鑑みるに、戦争、とりわけ、公式だと世界で唯一、核兵器が使用された国、そして、戦争放棄を謳う憲法を掲げる国の民として、黙っていられなくなった、というのが今回、書くことを決断した理由です。
ただ、それでも8/6に書くことはできませんでしたけどね。そして、8/9以後は、また書くことができなくなるかと思います。
それではよろしくお願いします。
時は遡って1945年(昭和20年)。
この前年までで、すでに太平洋戦争において日本は敗色濃厚になっていたにもかかわらず、どういうわけか、戦争を継続する道を選んでいて、しかも当時の国民は、新聞紙上やラジオで展開される針小棒大な戦況有利ニュースを「戦争のすべて」と誤解したようで、だから、昼夜問わず爆撃され逃げまどい、食料はほぼ底を付きかけ、青年だけならまだしも初老を迎えたはずの男子まで召集されて、中学生以上になれば休日返上で仕事をさせられるという、凄まじく苦しい生活を強いられながら、それでも、ほとんど不満を言わずにというか、むしろ嬉々として毎日を過ごしていたらしいから、この時点で今を生きる私からすれば、狂っていると認識してしまいます。
少なくとも、本土が敵国に大編成を伴って空襲されまくれば、「防衛ラインがやすやすと突破されている」ってことだし、周りが招集されまくっていれば、「兵隊が居なくなっている」わけで、それで戦況有利なはずがなかろうと気づけないものかと。
... ... ...
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...気づかなかったんだろうな...マジで信じられん話だが。
さて、この年の8月6日月曜日、午前8時15分。
広島の運命を急転直下で地獄へ叩き落した、世界史上初めての「核兵器」、当時の名称で原子爆弾が投下されました。
ちなみに私が初めて原爆のことを知ったのは小学2年生の時で、当時、学校の図書館にあった「長崎の原爆」についての本を読んだことでした。
もちろん、8歳の子供が『文章』から、当時の光景を空想できるはずもなく、漠然と「世界初のすごい爆弾」が使われた、という認識で、それこそ、当時は原爆については「興味本位」だったと今さらながら思う。
しかし、その2年後の小学4年生時、7月初頭(さすがに日は覚えていない)に、見せられたこのアニメによって、私の認識は、完全にひっくり返ることになりました。
もし、このアニメをまだ見たことがない方は、見るときはかなり注意してください。
でも、見てほしいと願います。
このアニメには、戦争の恐怖、核兵器の恐怖が、余すところなく表現されています。
一人でも多くの人が、戦争や核兵器の恐怖を知り、二度とこういうことがあってはならない、と心に固く誓ってほしい、と願います。
なお、私は今でも当時の私を思い出すことができます。
このアニメを見て、かなりのショックを受けて、2週間、碌に食事もとれず、「どうしてあれを見て、笑って過ごせることができるんだ?」と周りに嫌悪感を抱き、特に「飲み物」を出されれば、「私じゃなくて、あのアニメに登場した原爆被爆者にあげてくれ」と本気で考えるほどでした。
しかも、その日から、これは2週間どころか結構長い間なんですけど、飛行機の音が怖くなって、普段も基本、日陰を歩いていました。
んで、このショックから立ち直ってからですね。
ある意味、本気で原爆のことを知ろう、と考えたのは。
威力とか構造とかもあるんだけど、ある意味、そんなことより、どんな被害が出たのか、を凄く知る必要がある、と考えて、それこそ、小学時代はもちろん、中学、高校、大学と休み時間に何もすることがないときは、必ず図書館行って確実に原爆に関する本を探してそれを読み耽りましたね。
特に大学時代は、広島県にある大学だけあって、体験談の音声テープが普通に図書館に置いてあって、それも聞きました。
それくらい、とにかく「どんな被害があったのか」を注視して、独学で学びましたよ。
とは言え、ある程度、当時の被害状況は想像できるようになったけど、それでも多分、実態の1%あるかないかだと思う。
さて、広島原爆の象徴と言えば御幸橋のこの写真。
世界で唯一、「核兵器の被害状況」を映し出した写真。
これでも、炸裂2時間後の話で、しかも爆心地からは2キロは離れているわけで、当時、半径2キロが壊滅の、半径500m(原爆の火球とほぼ同じ半径)となると、消滅したレベル。当時、半径500mだと95%以上の人が命を落とし、1キロ内でも90%以上の人が命を落とした中、大学時代に半径500mで生き残った8人の本を読みましたけど、生き残れた理由が全員共通していて、鉄筋コンクリートの建物の中に居たので周囲が致死量の中性子が飛び交った中、相当抑えられて、当時、『閃光』と言われた火球という熱線(摂氏4000度)は「たまたま何かの影になっていたので浴びなかった」でした。
当日だけで犠牲になった人の数は14万人で、後にこの番組で知ったんだけど、
犠牲になった大半は中学生や女性たちとか、これじゃ負けて当然だな、と改めて思いましたね。
女性は国の将来を担う宝を授かることができる存在であり、中学生は文字通り将来を担う存在。
そんな存在をぞんざいに扱う国は負けるどころか、滅亡しても当然だろ、と言う話ですわ。
なお、上の画像は2015年に、一部カラーで再現されました。
マジで痛々しい姿の被爆者たち。
でも目を逸らさないで見てほしい。そして、見るだけでも本当に痛いのだから、その痛みを知ってほしいです。
それでも被爆者たちが感じた「痛み」から比べれば、格段に弱いだろうけど、知ると知らないでは全然違うから。
こういうことは「戦争がなければ」起こらないと感じてほしいと思います。
んで、広島原爆の象徴として有名なのはこの原爆ドーム。
被爆前は、産業奨励館という名前で、元はこんな形、というのも最近知りました。
うん。まだまだ知らんことが多いね。
ちなみにこれを知ったのはこの番組。
...はっきり言うけど、この当時のNHKはまだまだマシだったんだなと。
ここ5年ほどなんだけど、原爆に関しては、平和祈念式典ですら、ニュースのトピックス扱いで、特番となると一切無視。本当に腐り切った国営放送になったなと。
これでよく放映料を徴収できるもんだと憤りしか感じませんね。
話を戻しますけど、当時の周囲がこれなんで。
本当に、残ったことが奇跡だと思う。
ただ、これは実は今現在を生きる私はもちろん、被爆地・広島市民でさえ、若い世代は、この風景がどうしても現実に起こったと信じられないのもまた現実だったりします。
今の広島があるから、ってのもあるんだけど、たぶん、それは「戦争を知らないから」だと思う。
正確には「戦争による被災を知らない」だけどね。
戦争自体は知る必要がある、とは思う。実体験する必要はないが、文献や体験談、可能であれば現在の戦地の様子をネットなどで知ることはできるし、それを知らなければ、絶対に謝った判断を下すことになる。
はっきり例えるけど、上の画像のような状況にしたいか? と問われたらどう答えますか?
大多数の人は「それは嫌」と答えるでしょ? でもそうしたくないなら、「戦争をしない」以外の答えはないんですよ? 分かりますか?
「勝てばいい」とか馬鹿なことは言わないでくださいね。
確かに「勝てば焼け野原にはならない」かもしれないけど、それはあなたの国の話。そうじゃない国が「焼け野原」になるわけで、だから「勝てばいい」とのたまった輩は、「人の痛みが分からない」、いわば「心がない」と同意。それを「人」とは言わない。それこそ「外道」。
人が人であるためには「人の痛み」を知り、それは自分だけでなく、周りの人たちも含めての話であり、「誰にも痛みを与えたくない」と考えられるようになってほしいと思います。
そうすれば、人を国を傷つけるしかない「戦争はあってはならない」という思考に到達できるから。
んで、これを今日知ったんですけど、1945年(昭和20年)8月6日から50年経った1995年(平成7年)8月6日にこういう新聞が出たとか。
当日発行できなかった昭和20年8月7日の新聞。(ただし日付は8/6付け)
今風の形にしてあるけど、今見てもこれはかなりの衝撃的なニュースです。まるで現代に蘇ったかのように。
んで、くどいようだけど、これを見て、怖いとか気持ち悪いとか思うのは仕方ないんだけど、目は逸らさないでほしい。
これは当時の日本人が犯した過ちの結果なのだから。同じ日本人なら、この過ちを我身として反省し、未来永劫、こういう国にしないよう、心に誓っていただきたく思います。
そうしなければ、特にこの像が象徴的なんだけど。
原爆の子の像、別名「佐々木貞子の像」。
折り鶴を掲げている少女は被爆し、中学生になる前に当時、不治の病とされた白血病によって亡くなられた少女を悼み、建てられたのがこの像です。
小学生時代にこの折り鶴を千羽折れば病気が治る、と看護婦に言われた貞子が弱っていく体で、最後まで折り続けた折り鶴。本人は千羽折る前に力尽きてしまったので、願いは叶わなかった、と思っているかもしれない悲しい話。
でもこれも戦争がなければ起こらなかった悲劇。
この話を読んだことがあり、悲しく思ったのなら、その人は是非、戦争に反対してほしいと思います。
というのが広島原爆の一連の話でした。
そしてここからは当時の日本の現実を、今を生きる日本人が教訓としてほしい話を少しします。
この原爆に関連して、英国のBBCと日本のNHKが共同制作した番組がありまして、それはこちら。
この中に、BBC側は日本の諜報員が国内のことを調べていると「国民は戦争に付いてきていない」と言うセリフがあるのですが、まあ、はっきり断言しましょう。
これはきっぱり誤りですね。
なぜなら、この番組中に被爆者の方が証言されてますけど、玉音放送(1945年8月15日正午)直前まで、周りが「ハワイを落としたんと違うか」とか噂してるとかで、本当に戦争に付いてきていないなら、こんな風に考えるわけもなく、というかむしろ、8/6と8/9の原爆投下に8/9のソ連参戦という状況においてなお、まだ日本優勢などという夢物語を信じている一端が垣間見えるわけで、そんな民衆が「戦争についてきていない」わけがなかろうと。
んで、どうしてこんな思考になれるかというと、当時のメディアを当時の日本人が疑いもせず鵜呑みにしていたから、以外の答えはないわけで...
さて、ここで今の自分を鑑みてください。
問いかけましょう。「あなたは今、当時の日本人とは違う」と自信を持って言えますか? と。
「言える」と答えた人にさらに問いかけます。
あなたは新聞テレビの情報を一番重視してませんか?
どうですか? これに「yes」と答えるなら、今のあなたは当時の日本人と何ら変わらないことを曝け出してます。
当時の日本人もメディアを妄信した結果が、あの悲惨な戦争だったわけで、それに気づいていないってことですよ。
現実問題、例えばこういうニュースが流れたんですけど。
それでも今年、広島は平和式典にロシアの外交官を招待しませんでした。
そして、演説した市長も、ロシアのウクライナ侵攻を責め立てるような表現をしました。
しかも、日本ではそれを一方的にロシアを悪者にしています。
私個人の意見を言えば。
戦争そのものに反対なのでロシアのウクライナ侵攻を容認するつもりはまったくありませんが、でも、「どうして、ロシアはウクライナに侵攻したんだ?」という理由を知りたい、という気持ちはあります。
物事は因果応報によって成り立っています。
つまり、何か理由があって、侵攻したはずなので、その理由を知らずに、一方的にロシアを批判するのはさすがに違う、とは考えます。
プーチン大統領の侵略欲というのはさすがにないでしょう。
現状、ロシアが制圧したのはウクライナの中でも親ロシア派の地域。ウクライナ全土ではありませんし、その地域はもちろん、他国に攻め入ることもしていません。
なんか、ロシアが原発を攻撃した、という情報が流れましたけど、今の日本の新聞テレビをそのまま信じる、というのはかなり怖いと思います。
なぜなら、日本の報道は「報道の自由度ランキング」は世界71位。
ヨーロッパを中心にした団体がやっているので必然的に共産圏の国の順位は低くなるんですけど、アメリカのお仲間であるはずの日本はG7および先進国ではぶっちぎりの最下位です。
それだけ、共産圏の国を除く国の中ではまるで信用できない、という烙印を押されているわけです。
しかも最近では、特にテレビは、ニュース番組なのに平気で新聞記事を流し、視聴者ビデオを紹介しています。
つまり、自分たちでは「取材していない」ということです。
そんな報道を真に受ける怖さに気付いてください。
これに気付けなかったのが80年前の日本であり、その延長線上に77年前の悲劇があります。
戦争を駆り立てたのはメディアであり、それに乗ったのが当時の日本人でした。
改めて問います。
今、あなたは自信をもって、当時の日本人とは違う、と言えますか?
ロシアのウクライナ侵攻に対して、無条件に「アメリカはもっとウクライナに武器を渡してロシアを攻撃すればいいのに」とか考えていませんか?
その思考がすでに当時の日本人と同じで「戦争の肯定」であることに気付いていますか?
戦争に反対するなら、ロシアの侵攻を批判するのはまあいいとしても、和平交渉をしようとしたウクライナ外交官を止めたのがウクライナの大統領であったことを知っていますか? その判断をおかしいと思わないのですか?
今一度、『今の日本人(自分たち)』が『太平洋戦争時の日本人』と本当に違うかどうかを自分に問いかけてみてください。