凡人の凡人による凡プレイ備忘録

2023年12月4日にサービス終了した『実況パワフルプロ野球サクセススペシャル』の(あまりに名残惜しいのでしばらくの間は続くと思われる)思い出話を今はまだ中心に、色々な、というか私がプレイしているゲームやその他もろもろを気の向くままに書いてます。なお攻略記事ではありません。あと、凡プレイ紹介ですので、スーパープレイを見たい方は回れ右。(笑)

IF...もしゴジラの運命の分かれ道を進んでいたら...

というわけで今回のサムネは、ときどき明晰夢を見る私の夢になぜか出てきた3歳の幼女です。

服装も髪形も合わせてあるのですが...夢の中では私の娘ではなかったはず。その割には私に懐いていたのだが。

 

まあ、それはそれとして今回は、私も時々ブログで取り上げたことがある、石川県が生んだレジェント野球選手にして、元メジャーリーガー。

 

松井秀喜に関するIFの物語を私の独断と偏見で考えてみようと思います。

 

ということで、今更どんな選手だったかの詳細は、名前のリンク先から知ってもらえればいいとしまして、松井は1992年11月21日のドラフト会議で、当時、4球団(福岡ダイエーホークス、東京読売ジャイアンツ=以下「巨人」、中日ドラゴンズ、阪神タイガース)のくじ引きによって、巨人が交渉権を獲得し、まあ、松井自身が当時大のタイガースファンということもあって多少は心の葛藤があったそうですけど、それでもすんなり入団。

 

そういえば、当時、私の友人が巨人ファンで、私がホークスファンということもあって、お互い来てほしいことを熱望していたんだけど、巨人ファンの彼が凄く喜んでいたことを今でも覚えています。長嶋監督の親指を立てたあのポーズを何度も見せてくれましたもんね。まあ、負けたことは残念でしたが郷土の英雄の入団をあれほど喜んでくれたことは素直に嬉しかったです。

 

それはさておき。

松井は4年目以降、日本プロ野球界のトップを、2000年まで一つ年上の、これまた当時・オリックスブルーウェーブに所属していたイチロー選手と並走しました。

 

イチローがメジャー移籍した2001年、2002年は一人で日本プロ野球を背負った後、アメリカ、メジャーリーグへ移籍、だったわけですが、松井の運命の分かれて道と言えば、明らかにドラフトの日。

 

この時、松井の目の前には結果はクジ運に身を任せることになった4つの道があったわけで、この時は巨人が当たりくじを引いたんだけど、じゃあ、別の3つの道だったらどうなっていたのだろう、というIFをくどいようですが、私の独断と偏見で想像してみようと思います。

 

1.阪神タイガース

ううん。今の生成AIってスゲーな。ここまで違和感なく、ユニフォームを着せることができるとか。あ、ちなみにこれ以降の松井のユニフォーム姿はすべてAI生成です。ちなみにタイガースのユニフォームのみ背番号は、松井が尊敬してやまない掛布雅之氏の背番号にしました。

 

さて、松井の第一希望だった阪神タイガース。

1993年の監督は中村勝弘氏で、以後、1996年に藤田平氏、1997年~1998年が吉田義男氏、1999~2001年が野村克也氏、巨人を退団した2002年が星野仙一だったわけだけど、この時のタイガースは暗黒期真っ只中。松井自身も「俺が入って強くする」なんて息巻いていたらしいけど、阪神に入って大成するには相当精神的に強くないと後援会や関西メディアの甘やかしやファンの過剰な期待に押しつぶされて、特に高卒選手のほとんどが潰れていくんだけど、当時も1年前に松井同様大騒ぎされた元大阪桐蔭の萩原誠選手が潰れてしまった経緯があって、はたして松井はどうなっていたのかと考えると。

 

多分、タイガースでも成功していたかなと。

 

まず、暗黒期と言っても別に選手層自体は悪かったわけじゃなくて、結構な重量打線だったし、特に吉田監督は1985年のタイガース日本一時の監督だったこともあって、打撃のチームを作っていたから、そこにうまくハマれば、たとえ甲子園が本拠地だろうと毎年30本以上は打てたんじゃないかなと。しかも1999年には野村監督が就任しているわけで、野村監督と言えば、池山、広沢といった長距離砲も育てていることもあって指導者には恵まれていたと思う。

ただ、懸念点が一つあって、松井は「強いチーム」で「勝つこと」を重視する選手だったから毎年Bクラス、特に野村監督時代は3年連続最下位ということもあって、はたしてモチベーション的にどうだったんだろう、という感じは拭えないところか。

あと、2002年に星野が就任したのは松井にとって大いにマイナスになった可能性は高い。それは中日ドラゴンズの場合で詳しく言います。

 

とは言え、本拠地が天然芝に土のグランドだったから選手生命は巨人に進んだ現実よりも長かった可能性はあるかなと。

 

2.福岡ダイエーホークス

1993年当時の監督は根本陸夫氏。

知る人ぞ知る、埼玉西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスと、就任当時は低迷していた2チームを常勝軍団に造り替えたその手腕は見事の一言。

 

つっても、監督として、ではなく、編成(今でいうGMかな?)として、とにかく有能な選手を集めるのがとっても上手だった人です。

 

その手腕は当時のホークスでも存分に発揮されて、細かい話は省くけど、今の常勝ソフトバンクホークスの礎を作った人、と言われれば、まず間違いなくこの人の名前が挙がることでしょう。

で。

そんな監督ですから、当時、未来のスーパースラッガー候補であった松井の成長に投資を惜しむはずもなく、1994年に秋山と松永が、何より1995年に王監督がホークスに招聘されるわけで、巨人時代に負けず劣らずの指導を受けられたことは容易に想像がつくわけで、巨人時代と遜色ない成長具合を見せてくれただろうなと。

しかも松井のホームランの最大の特徴は、球場を選ばない「弾丸ライナーが失速しない軌道」の為、広い球場が多いパ・リーグでも遺憾なく、長距離砲としてその素質は開花していたかなと。

個人的には、2001年の近鉄・ブライアントと中村紀洋、2002年の西武・カブレラとのホームラン王争いはかなり盛り上がった気がする、と思う。特にホークスの監督が王監督だからブライアントもカブレラも松井と争っていれば当時シーズン最多だった55本を越える本塁打を打てたんじゃないかなと思われるわけで、ホークス・松井秀喜でも大成した可能性は高いんじゃないかと考えます。ひいき目でも何でもなく。

 

まあ、懸念点は明らかで、根本氏が死去された2000年以降のダイエーフロント。特に高塚猛という球団社長がクソで2代目の中内正が功氏と比べるとどうしても見劣ることから舐められてしまい球団の私物化、工藤や小久保、そして村松への誹謗中傷と、ソフトバンクに売却されなかったらホークスは潰れていた可能性さえある無能球団社長の下では松井もやばかった可能性は否定できないわけで、まあそれでも王監督が防波堤で守ってくれたかもしれない。

ただ松井は巨人をFAで退団したのが2002年秋だったから、2003年のダイハード打線に居たかどうかと問われるとちょっと分からないかな?

 

3.中日ドラゴンズ

ユニフォームは2004年~2011年のもので、仮にドラゴンズに入団していたとしても、このユニフォームを松井が着ることは無かったんだけど、ぶっちゃけ、「中日ドラゴンズ」と言えば、私にとってはこのユニフォームかなと。

さて。

松井がプロの世界に飛び込んだ1993年当時の監督は高木守道氏で、1996年からが星野仙一。

...なんか語るまでもなく、言っちゃ悪いけど、この球団に入ってたら大成しなかった可能性が高い気がしてならない...

 

一応、成功の芽を考えてみよう。

まず、1993年であればまだ落合博満がチームに居たので、三冠王からの直接指導は受けられたと思う。松井の一番の魅力は物怖じしない性格で、落合だろうと指導を乞うただろうなと。まあドラゴンズとしても松井を大成させなければ球界の大きな損失になり、それは球団人気の失墜を意味するレベルの選手だったので、落合に指導するよう、働きかけたことは想像に難くない。

ただ、松井って頑固なところもあってなかなか自分のスタイルを曲げないんだけど、ここは、仮に落合氏のアドバイスを「素直に聞いた」なら、1993年は巨人時代以上の成績を残せたかもしれない。ちなみに松井の1年目の本塁打数は実は侮れなくて、当時11本だったんだけど、それは、高卒新人1年目のセ・リーグ新記録でした。

で。

もうここからが懸念点しかないんだけど。

1994年以降、史実通り、落合が巨人へFA移籍したとすると、もうドラゴンズで伸びる要素は見当たらなくなるなと。

ナゴヤ球場、という狭さが本塁打数自体は誤魔化しがきくんだけど、技術はどうだろう? 井上弘昭打撃コーチは悪くないかもしれないが、それでも1994年で去ってしまっているし、1996年からは、今なら元巨人監督の阿部慎太郎が暴行罪で捕まった以上は、間違いなく傷害罪で逮捕されるパワハラ暴力チンピラ野郎の星野仙一が監督なわけで、特に松井はかなりのマイペースな人物であり、巨人で成功できた最大の理由が、そんな松井の態度と行動を球団全体で許容したことも多大に貢献しているのだから、現役時代の実績が落合の足元にも及ばないくせして、監督権限とか言うパワハラを炸裂させて。の自己流調整に難癖を付けたり、落合以外の選手をすぐ殴ったりする星野の方針に従うはずもなく、間違いなく潰されただろうなと。

 

うん。こう考えるとマジで松井はドラゴンズに行かなくて良かったなと。

 

まあ、これはさらにIFになるんだけど、松井の入団が10年後の2003年なら、山田監督、落合監督の下で、スラッガーとして大成した可能性は否定しない、と言いたいけど...落合監督が直接指導したならともかく、石嶺コーチが指導したとすると中畑レベルでヤバいか?

 

てなわけで、松井秀喜が巨人以外に入団した場合を、私の独断と偏見で考えてみました。歴史にIFは無いから決して見ることはできないんだけど、想像するくらいは良いんじゃないかなと。

 

で。

現役引退後は是非、プロ野球独立リーグの、地元・石川県の入川ミリオンスターズのユニフォームを着てほしいだけど。

これは、今のところ実現しない、かな?

実現するとすれば、何やら噂になってる巨人監督後、還暦を迎えた後の話になるのかな?

ただ、そうするとさすがに「選手兼監督」は無理だな。

 

さて、今回ラストはVS魔法少女。

とりあえず、今のChatGPTのシステムでも、「魔法少女」のローティーン化を可能にするプロンプトをようやく見つけました。

前も言いましたけど、今のChatGPTのシステムでは、ローティーンが魔物と戦う、という構図は絶対に作ってくれないんだけど、やっと抜け道を見つけました。

今回は対リザードマン。

一年前の、本当はこのキャラデザにしたいんだけど、それはなかなか難しいんだけど。

それでも随分と近づけることができたことは収穫だったなと。
ではまた。