というわけで今週末。
なんか久しぶりにこちらのゲームをやりたくなりまして。
PS版のドラゴンクエストⅦ。
んまあ、理由は至極単純で、ようつべでドラゴンクエスト関連のゆっくり動画をここ数か月ガンガン見ていたことによる衝動なんだけど。
現実問題、ナンバリングのⅠ、Ⅱ、Ⅲはアプリ版をPS4で、Ⅳ、(最近紹介した)Ⅴ、ⅥはDS版で持ってたんだけどⅦはアルティメットヒッツ版(2024年現在、まともに買おうとすると馬鹿高くてビビりました)を持っていたものの、できるハードが無かったんで、この度、PS2を「購入」しました。
今、買うと当時と比べて中古なら半額以下で買えるので楽だったんですが、このハード自体がすでに登場から20年経っていて、その20年前と言えば、まだブラウン管のテレビの時代で、3色端子がないとできないんだけど、今の時代にPS2をやろうとすれば、HDMI変換の機器が必要になって、なんかゲーム機周りがわちゃわちゃしております。
あと、PS2の時代って、まだまだ録画はもちろんスクショの概念が無かったので今回はスマホ撮影(だからブレまくり)になっていることにご理解を。
うん。今月はともかく来月になったらキャプチャーボードを買った方が良いな。🤔
あ。ちなみに画像もすげー荒かったです。😆
例えば、PS2を買ったものだから、こっちも久しぶりにやりたくなって。
まあ実際にやったんだけど。
20年くらい前の当時の、家庭用ゲーム機のモニターってやっと液晶が登場した頃で、私なんてまだブラウン管を使ってたんだけど、おそらくだけど「画質」というか、「解像度」かな? それもほとんどがW1024×H768で、これで見るなら画質も結構奇麗なんだけど、今の時代はW1920×H1080が当たり前になっちゃって。
一応は当時最大のW1080かW720の16:9できないこともないんだけど、とりあえず、やり始めの頃は、その画像の荒さに「ううん...当時は画像の『奇麗さ』に度肝を抜かれたのになぁ...」となんとなく戸惑い気分でございます。
んまあ、スマホで撮影した分を差し引いても、実際にプレイしているときは結構ドットの荒さが見えていたかなと。
とまあ画質の感想はさておいて。
やっぱかなり久しぶりに「EVE new Generation」をやったもんで、いやまあ、結末とかはストーリーの流れとかはすでに知っているんだけど、「初見時はここ、分かんなかったなぁ」とか懐かしみながら今回の連休を丸々使っちゃいましたね。
うん。私、相変わらずこの手のゲームをやると止まんねーわ。
なお、この「EVE new Generation」。
発売は2006年で、当時、完全新作の「EVEシリーズ」としては5年ぶりでした。だからまったく知らないストーリーだったんで当時も夜の目も見ずに頑張りましたよー。
などという私のことは脇に置いていて。
完全新作と言っても、二人の主人公、
天城小次郎と、
法条まりなの。
いつもの通り、二つの視点でゲームを進めるマルチサイドシステム(今ではザッピングシステムの方が通じるかも?)の推理サスペンスアドベンチャーで、ときどき、二人はストーリーの進行の都合で絡み合い(なお、Hな意味は一切ない)ながら物語を進めていくゲームです。
今回のお話は、小次郎の方には、とある少女が発端となって、まりなの方にはとある青年が発端となって、それも「蜂」と「双子」に纏わる、初見時はなんかすごく頭がこんがらがる展開になって、こういう推理ゲームだと時間と空間を捻じ曲げるとか超能力が登場するとかは絶対にあり得ないのに、あたかもそういう概念をぶっ込まれたんで、「え? え? ちょっと待って? これは説明つくけど、こっちは説明つかないよな?」って展開が怒涛のように押し寄せてきます。
まあ、それでも一つだけ強引な設定はありましたけどね。これはさすがになぁ...とは思いましたけど、それでも全編通して、ほとんど息を持つかせぬ緊張感が続き、こういうタイプのは私は止められなくなりますわ。
今回の犯人はまあ...どうだろ? 初見の時はどの辺りで気づいたかなぁ...
いやまあ、推理サスペンスってゲームの特徴でもあるんだけど、こういうのをよくやるプレイヤーは個人差はあっても大体、どこかのタイミングで犯人が何者かに気付けるんだけど、んまあ、正確には多分中盤あたりで気づいたとは思うんだけど、どうしても「トリック」が分からんかったです。それこそ、すべてが明かされた最後まで。
かと言って、この手のゲームは最初から最後まで、マジで緊張感だけで構成されるようだと疲れるだけなんで、もちろん、息抜きは入ってくるわけで。
例えばこういう、神秘的なシーンとか。
あ、水に浸かってますけど、ゲーム内の季節は8月中頃の夏真っただ中です。
だから夜でもひんやり気持ちいいかも?
これは今回のお話の小次郎側に初登場したキーパーソンの少女の語りです。詩的なこと(中二病と言っても良いです)をよく言いますけど、なんか複雑な事情の持ち主でした。
つっても可愛いから良し。
というか、私自身がツインテールという髪型に弱いんで、こういうキャラには感情移入してしまいますわ。
...だから、途中、とんでもないシーンがあったんだけど、アレは小次郎とまりな同様、それをやらかしたクズ野郎に大いなる怒りを感じましたわ...
どんなやろうかと言いますと、テメエの持っている権力の大きさを理解して、しかもそれをテメエのためにしか使わないクソ野郎で。
てか、いつも思うんだけど、物語には往々にして、どでかい権力を持った「クズキャラ」が出てくるんだけど、これってあり得るんかいな、と今、大人になって考えることがありますね。
地位は人を作るはずなのに、巨万の富を得るほどの人が「クズ」だとしたら、どうやって「巨万の富」を得ることが出来るのか謎で。
だって、巨万の富を得る、ってことはそれ相応の周りとの付き合いが必要になるわけで、「クズ」に付き合って「商売する」馬鹿は共に破滅の末路にしか向かわないのは自明の理で。
だって、「クズ」を信用できるか? と問われれば、大多数の人は「信用するしない以前に相手にする気すらない」と答えるだろうに、だからこそ、「巨万の富を持つどでかい権力」を持った「クズキャラ」が存在すること自体、私は不思議でならんのですよね。
仮に先代が凄く立派な人で巨万の富を築くことが出来たとしても、その次の当主が「クズ」ならすぐ財産を食い潰してしまいあっという間に没落させてしまうのは歴史が証明しているわけで、なのにどうして、物語の中にはこういう権力持ちの「クズキャラ」がいるのか...
架空の話だから、と言ってしまえばそれまでなんだけど...
あー、そうでもないか。
誰とは言わないけれど、この日本にも居るなぁ...どうしようもないクズキャラなのに巨万の富を持った権力者が...まあ、だから日本は没落の一途をたどっているんだけどね。
そういう「クズキャラ」を国民自体がいまだにのさばらせ続けるから。
てことでこの話はこれくらいにして『EVE new Generation』。
実は、他のEVEシリーズと比べると、なんか文章中に『比喩表現』が多いんですわ。
行動するときのたとえ話とか、一つのシーンを進めるのに、「周りの色々な風景を描写しながら話す」こととか。
ちともったいぶった話し方と文章と言い換えても良いかもしれない。
つまりは、ゲームというより「小説」を読んでいる感じ? みたいな。
でもまあそれもそのはず。
2006年当時だと、多分EVEシリーズどころかゲームソフト自体を開発しているイメージがまるでなかった会社様。
かなり分かり辛いんですけどこのゲーム。
開発販売元が「角川書店」。
どうりで、ゲームを進めているのに本を読んでいる感覚になると思ったら...🤭